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こどもたちのカルチャー・キャンプ(前編)
[2007.05.22] [「児童演劇」原稿]
(児童演劇2005年6月号)
日本ではどうなのだろう?
チェコでは夏休みになると、山や湖で子どもたちを集めてカルチャー・キャンプがよく開かれる。
おとなと子どもが一定期間コテージやテントでともに生活し、何か一つのサブジェクト(科目)に取り組む。ぼくが毎年招かれているキャンプでは一週間ごとにサブジェクトが替わり、指導する講師も受講する子どもたちも入れ替わる。音楽やダンス、人形劇や英会話、山の鉱石を採掘したり、陶器を焼いたり。ただ歩く、というプログラムもあった。比較的若いスタッフ十人ほどが主催・運営しており、はじけまくる子どもたちや、デキの悪い講師のお世話係りも彼らがつとめる。
募集する子どもたちの年齢層や人数は主催者と相談の上、講師が決定できる。
ぼくのサブジェクトは「フィギュア・シアター」で、人形や仮面、影絵や自分たちの身体を総合的に使っての芝居づくり。
小学生から中学生まで三十人近い応募があり、一週間、ドタバタと楽しく過ごした
実際にどんなことをしたか、簡単に書いてみたい。
まず、サブジェクトを三つのカリキュラムに分けた。
その一。毎日始めにボディ・エクササイズをする。
これはロシアのマイケル・チェホフが創案した俳優修行の訓練を、
ぼくが子ども用にアレンジしたもの。
チェホフのオリジナルには、例えば皮膚感覚や空間認識を鋭敏にするために、自分の身体のまわりがぜんぶ粘土でできていて、腕や足、身体全体を動かすことで空間を「彫る」、そして美しい彫刻を作る、というエクササイズがある。これは小学生にはなかなか難しいもので、かなりの身体的想像力が要求される。ただし、チェホフ自身が繰り返し書いているが、「マイムのトレイニングではないので、他人からどう見えるかはまったく重要ではない。自分がどう感じられるかがすべてだ。そして大切なことは焦らないこと」である。
普段とはちがった感覚で身体を動かすためのエクササイズとして、ぼく自身は例えば次のようなゲームを子どもたちにやってもらう。参加者の中から誰か一人を選び、その子にごく単純な動作の繰り返しと、それに見合った奇妙な「音」を、これも繰り返し発してもらう。
例えばAくんが両腕を前に突き出してスクワットし、しゃがみこむたびに「ボヨヨン」という声を出す。さてそれを見て何か面白い動きなり音なりをひらめいた者が二番手となってAくんに連結してゆく。三番手、四番手と次々連なって行って、最後には奇妙で騒々しい、大きな機械ができあがる。
自分が単純な運動体となって他者のインスピレイションに「つながる」という訓練なのだが、必ずしも直接手をつないだり、身体に触れる必要はない。
子どもたちによく見られる実例で云うと、Aくんがしゃがみこんだときに降りてくる手から、次のBくんが何かを受け取るような仕草をして「ボトッ」とか「ガチャン」と叫ぶ、というものがあるが、これで到達目標は充分にクリアされている。
このヘンテコな機械はさまざまなノイズを発しながら動き続けるのだが、やがてAくんからオーヴァ・ヒートし始めて、それが次々と部品に伝わり、最後には加熱の末に壊れてしまう、というエンディングになっている。
たいていは爆発してバラバラに砕け散ってしまうが、子どもたちのキャラクタによっては凍りついたように機能停止する場合もある。

「テントで人形の部品づくり」
その二。皿やフォーク、木の枝など、身のまわりのさまざまな素材を人形のカシラや、身体の部品に見立てて、色を塗ったり、簡単な衣装を着せて合体させ、人形浄瑠璃の三人遣いに挑戦する。
文楽を始めとして日本が世界に誇る人形浄瑠璃は、まず、なぜあのように統合された動きが三人の異なった遣い手によって達成され得るのか、という点で、ヨーロッパ演劇界の驚異の的であり続けている。もちろん子どもたちのキャンプで、立派な操演者を育て上げようというわけではない。
しかし、例えば中心となる主遣いの呼吸や動きをあとの二人がサインとしてきっちり感じ取れること、また子どもたちの中で歌ったり、楽器を扱えるものが何人かいれば、太夫や三味線のように、そのメロディやリズムを道しるべに人形を動かしてみる、という工夫も生まれる。
共同でモノの動きを創り出す、というところがポイントだ。
あるグループは、たて笛を人形の胴体に見立てて、自らの音色で腕や足などを呼び集め、くっつけて歩き出す、というコンセプトだった。また、三人遣いならぬ四人遣いや五人遣いのグループも登場し、さまざまな工夫に舌を巻いた。
2007.05.22 / 12:49

