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児童演劇 2005年10月号掲載原稿

[2009.10.19] [「児童演劇」原稿]

児童演劇 2005年10月号掲載記事

芸術大学の演劇教育(前編)

プラハには国立表現芸術アカデミーという大学がある。
正式名称はアカデミエ・ムージツキーフ・ウムニェニーと云って、頭文字を取って
通称アムー(AMU)と呼ばれる。ちなみに、絵画や工芸といった造形芸術には
また別のアカデミーが存在する。さて、アムーには映像、音楽、舞台の三学部があり、
それぞれフィルムのエフ(F)をくっつけてファムー(FAMU)、チェコ語で音楽を
意味するフドバのエイチ(H)でハムー(HAMU)、舞台芸術のディヴァドロのディー(D)
からダムー(DAMU)と呼ばれている。

舞台学部ダムーには二つの学科があり、ひとつは一般的な演劇学科、
もうひとつは演劇・人形劇学科とでも呼べば良いのだろうか、
もともと古典的な人形劇から出発しながら、いわゆる「何でもあり」に進化した
現代のフィギュア・シアター専攻の学科である。ぼくはそこで講師として働いている。

この学科には俳優コース、人形・舞台美術コース、脚本・演出コース、
プロデュース・マネージメントコースなどがあり、四〜五年制、その後、
修士や博士課程もある。入学の競争倍率はスゴイ。ぼくが担当している俳優コース一年生は、
二百五十人あまりの受験生から選び抜かれた十一名だった。選抜は個人の実力だけではなく、
そのメンバーでアンサンブルを組んだ場合の集団としてのバランスや可能性を重視する。
一次試験では身体能力や発声、音感、朗読、人形やオブジェクトを遣っての寸劇など、
個人の基礎的資質が試されるが、二次試験では、創作グループとして共同作業する際の
コラボレイション能力が要求される。何人かの俳優志望の受験生に、演出コース、
美術コースからのメンバーも交えて、いくつかの即席劇団を編成し、同一の課題で短い
上演作品を作らせる。そしてそのグループワークの中で、きちんと自分のアイディアを述べ、
集団の中に溶け込ませ、活かしていけるキャラクターと力量が求められる。
つまりいくら演技や音楽的才能に恵まれていても、ひとりよがりで他との協調性が
なければ合格できない仕組みになっているのだ。

「説得力」は必ずしも「饒舌」を意味しない。皆さんも経験から良くお分かりのように、
会議で長ったらしく、大声で発言する人はけっきょく嫌われるのだ。

DAMU Exam. 008.jpg

ぼくは授業でもよくグループワークをする。

あるとき、発言力の強い押せ押せのメンバーたちに遠慮して、なかなか自分の意見を
云い出せない学生ばかりを集めて別なグループを作り、インプロヴィゼイション
(短時間で即興も交えながら短い作品を創造する作業)を要求したことがあった。

受験を勝ち抜いたとはいっても、穏やかな性格のヤツはどこにでもいるし、
ましてや集団の中のキャラクター、役回りというのは、きわめて柔軟、相対的なもので、
超活発なメンバーを十人集めても、いつのまにかおとなしい人間が二割ぐらいは
できてしまうものだ。

で、目は底光りしているのに、なかなか自分の発想を言葉にできないそいつらを
一度集めてみたいとかねがね思っていた。
ぼくがあらかじめ与えたモノは、一本の懐中電灯と美しい日本の音楽一曲のみ。
テーマは自由。

空に浮かぶ大きな手からこぼれ落ちた光のしずく。
男は自分に落ちてきたそれをウザッタイ、とばかりに蹴り飛ばす。

蹴られた光は別の誰かに拾われ、やがて小銭のように物乞いに与えられる。
それを大切に胸にしまった物乞いは、やがて若い女性と出会い恋に落ちる。
彼らの口づけとともに光の玉は物乞いから女性の身体の中へ移る。
ゆっくりとふくらむ腹部。

やがて新しい命が女性の身体から生まれ出る。
赤ん坊を抱く幸せな母親。

再び空に舞い上がってゆく光の玉。
最初の男があらわれ、その光に気づき、つかまえようとするが、すでに届かない……。

彼らは壁に映る自分たちの身体の影だけを使い、二時間ちょっとでこの作品を創り上げた。
その作業の様子は、熱のこもった怪しい秘密会議のようでもあり、また、
子どもたちが懐中電灯を夢中になって取り合うゲームのようでもあった。

この短編は、やがて学期末の発表会で教授陣の感涙を誘い、
その後いくつかの国際フェスティヴァルで上演されることになる。
創ったときには想像もしない長い命を持った作品になった。

これはけっして指導者としてのぼくの実力ではなく、
彼らの「表現したい」という心の底からの思いが結晶した
素朴な宝石だったのだと思う。

つづく

「演劇・人形劇学科の入学試験」

2009.10.19 / 16:14

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コメント

ああ、また忘れちゃった。
のりさわ、でしたぁ。
おばんでしたぁ。

2009.10.28 / 02:10 | 投稿者 のりさわ

才能に投資すると、やがてその文化が国の品格を作って、将来にわたって利益回収が可能な産業になる、というヨーロッパの考え方とシステムが、たぶん日本にはないので、かなりむずかいしいんだろうなぁ、と思います。
昨年4月25日に書いた「どうしようかなぁ」と思っていることは、札幌教文のおかげで始まりました。
実はさらにその先の企画があるのですが、やっぱり人と時間を多く割く必要があって、「どうしようかなぁ」と思っているところ。

2009.10.23 / 03:33 | 投稿者 Anonymous

世界のノリサワ様

お元気に活躍されているご様子、何よりでございます!
で、写真の後ろ姿は、ひょっとして、クロフタ先生?
何となく、後頭部の感じがそうかしら…と思ったりして。
それにしても、芸術文化系教育システムのしっかりした教育施設、
出来ないかしらねぇ北海道に。
チェコの小学校の選択事業のお話しを聞いたときも、
過日の教文ワークショップを見たときもそう思ったんだけど…。
今週ロト6が当たれば、4億円!
足りないかなぁ…。

michakoja

2009.10.20 / 16:03 | 投稿者 michakoja

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