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返信 michakojaさん
[2008.10.10] []
2008.10.06 / 18:20 | 投稿者 michakojaさん
>粗野に聞こえるけど、北海道寒いから、少しでもしゃべる時間短い方が良いもんね、
>とか、言われたことがあるよ、意地悪なオヤジに。
そうだよね。本州以南の人たちは知らないだろうけど、
冬、屋外でゆっくり話してると、上下の唇が凍りついて、
くっついちゃうこと、あるもんね。
ひさしぶりにドラックの芝居を見た。
世代交代も完了し、フラデツ発の新しい提案に満ちている。
人形も出てくることは出てくるが、名わき役、というか、
ドラマツルグ上の必然性のため、というか、ようするに重要ではない。
父ヨセフから子ヤコブにその芸術的遺伝子はみごとに引き継がれ、
以前よりもさらに劇団コンセプトが明確になった気がする。
「演劇と人形劇があるのではない、良い芝居と悪い芝居があるだけだ」
この言葉をよく聞いた。
そしてその意味では、彼らの作品はまちがいなく最良の部類だ。
でも、これは売りづらいだろうなぁ、とは思う。マーケットの種類がちがう。
「人形劇」を求めるバイヤには関係がない製品だろう。
ただ、ジャンルによってあつかうプロデューサがちがう、という状況自体、
現在のヨーロッパでは激減している。
ぼくのマネージャも、沢の人形劇を音楽フェスティヴァルに売り、
ノヴォゴ・フロンタの前衛舞踏をエジンバラに持ってゆき、
デカラージュのアクロバットで楢山節孝を制作している。
ぼくらの教師であり、かつてドラックの人形美術で時代を開いたマターセク教授は、
今、国立劇場のオペラ作品をデザインしている。
21世紀に入ってからドラックが次々と生産している新しい作品群は、
今からたとえば20年後、ああ、あそこあたりがはっきりした分岐点だった、
と言われるような気がする。
いわゆる「人形劇」がカテゴリィとして消えてしまう、ということはありえない。
しかし、表現芸術の中で引くボーダの基準はすでに変わっている、ということ。
だから、そのときにまだ「これは演劇、こっちは人形劇」などと言っているプロデューサは、
終わってる。

2008.10.10 / 11:38
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