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「リクエスト」

[2008.12.22] [sawa 近況報告]

2008.12.18 / 16:15 | 投稿者 michakoja さん
>だって、世界のノリサワの代表作ですもん。
 
世界の、と言えば、ナベアツ、ですね。
マクベスへの圧力、ありがとう!
胸がおしつぶされそうです。ウソです。
 
日本では「マクベス」が代表作って言われることが多いけど、
欧米ではおそらく「森」だと思う。
上演回数も上演した国の数も、
おそらくマクベスの3倍以上ではないだろうか‥
 
どちらも初演は15年ほど前なので、
累積上演数が多いんですね。
だから代表作、という印象を持たれるのでしょう。
もちろん内容は、初演当時とかなりちがっていますが。

ephemera 001.jpg

ephemera 009.jpg

ephemera 013.jpg

さて、きんぎょちゃんが、KOUSKYのサイトで、
一般の方へ演目の希望を聞いてしまいました。
どうやら、ぼくがたずねるように指示したことになってますが、
まったく記憶にない‥
そもそも、そんなリクエスト、誰も送ってこないだろう、
一通も来なかったら、ものすごくカッコワルイだろうなぁ、
きんぎょちゃん、立てちゃったスレッドをどうするつもりなんだろう、
と心から心配してました。
ところが、何人かの奇特な方々が、
メールや手紙(わざわざプラハまで郵送くださった方も)で、
希望を送ってくれてます。
一月上旬には、プログラムをしぼり込む予定。

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返信12.12

[2008.12.16] [sawa 近況報告]

2008.12.12 / 22:55 | 投稿者 d.harmony さんへ

>2月に円形劇場で上演されますか。それとも、また場所を改めて?
>この10年間、見たいと想いつづけてきました。お願いします。

待望、ホントウにありがとうございます。
全編演じると、それだけで40分近くになってしまい、
体重も1kgほど落ち(まあ、それはそれで都合が良いのですが)、
円形公演ほんらいの「コウスキィ」というコンセプトから、
はずれてしまう危険が、なきにしもあらず。
なので、部分か、ダイジェスト・ヴァージョンになる可能性も
ありますが、とにかくやるつもりではおります。
ま、そんなに大きく期待しないで、前にも書いたとおり、
よく睡眠をとり‥‥(以下略)

sapporo.kanaria.jpg

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返信

[2008.12.15] [sawa 近況報告]

2008.12.12 / 09:01 | 投稿者 りこ さん

>私のこと覚えていますでしょうか?

「声のでかい」りこちゃんでしょうか?
だったら、ガッツリ覚えてます。
ぜひ、劇場で、バカ先生を笑ってやってください。

macbeth1_s.jpg

macbeth2_s.jpg

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返信

[2008.12.12] [sawa 近況報告]

2008.12.07 / 00:47 | 投稿者 d.harmony さんへ
>見せてください。お願いです。
>人間の生きる真の姿を描くことに、沢さんの真価があるはずです。
おぉ、良いプレッシャだ。
最近は周りがあんまり言ってくれないからな、貴重だぞ。
それにカキコミ全体が綺麗な文章だなぁ。感動した(こういう首相、
ちょっと前にいなかった?)。
さて、皆さまにおかれましては、どうか、観劇の前夜は、
じゅうぶんな睡眠をとり、上演中、いねむりなどしないように、
コンディション調整をして、劇場にお越しください。
おぉ、「胤」って、辞書で引いたら、また感動した(こういう‥以下同文)。
 
2008.12.08 / 16:38 | 投稿者 michakoja さんへ
 
>見たいなぁ…絶対見たいなぁ…改作版「マクベス」…
>沢さんが元気な内に…(^O^)/
 
あぁ、これまたプレッシャだ。
「改作」部分は、沢にとってはかなり大きいが、
お客さまには、たぶん何ら変わって見えないと思う。
すみません。でもね、老けてもできるのよ、このお芝居、ほほほ。

CIMG11000.JPG


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復旧して接着

[2008.12.10] [sawa 近況報告]

KOUSKYviのサイトを運営してくれている、
きんぎょさんのメールが使えなくなった。
原因はモデムの故障だったらしい。
つながらない間、ダイアルアップしていたとのこと。
復旧したとき、光ファイバーとの速度差にあらためて驚いたらしい。
うらやましい。沢家は旧式のADSLだ。
「復旧」って、元の状態に戻る、という意味だと思うんだけど、
いちど故障した機能を復旧させるためには、部品か、方法か、
とにかく何かを「新しく」取り替える必要があるはず。
ぼくは、そのイメージとこの漢字が、子どものときからしっくり来ない。

vul 001.jpg

いつも使う接着剤に、「エポキシ樹脂系二液性」という種類がある。
AとBの二つのチューブから、ものすごく臭い液体を同量出し、
よく混ぜる。硬化する時間には1分から、丸1日かかるものまで、
さまざまなタイプがあるが、いったん固まると、とにかく頑丈。
よく混ぜる、と書いたが、1分タイプなんか混ぜ合わせている間に
硬化が始まるので、こちらも必死だ。納豆を高速でかきまぜている
オヤジを想像してもらえれば良い。
よく使う5分硬化タイプが、生理的にもほど良い速度で、
東急ハンズで特大チューブを購入して、プラハでも使っている。
よく混ぜないで接着するとどうなるか?
いつまで経っても硬化し始めないので、手を抜いたことを後悔する。
それでも二日ほど固定し、放置すると固まってくれる。
この接着剤は、建築にも使われるスグレモノだが、
乾燥や、気温では固着速度がそれほど変わらない。
二液の化学反応によって、みずから発熱し、固まる。

さわ

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"Portugalie"

[2008.12.07] [sawa 近況報告]

ちなみに写真と本文は関係なし。
沢の場合、多いパターンなので、許して。

h.head001.jpg

さて、この秋の話。
ブルノのJAMU で働いていたとき、ダンスや芝居を毎晩のように見た。
その中のひとつで、大学の新入生を中心としたスタッフ・キャストの編成に、
一人だけ渋いプロを配置した作品で、「ポルチュガーリエ」という舞台があった。

これが凄いのなんのって、凄かったよ。
演劇的リアリティのある演劇。
オリジナルの脚本はハンガリー人によるもの、と聞いた。
旧東欧の田舎町で、父親といっしょに居酒屋を切り盛りする若い娘が主人公で、
彼女を取り巻く村の人々や、街からやってきて、彼女と恋に落ちる若者など、
「田舎町の、ありがちなできごと」を軸にストーリーは展開してゆく。
また、他の人間にはわからないが、この娘には、ときおりクラシックな軍服に
身を包んだ謎の衛兵たちが、店にたむろしているのが見える。

この芝居、沢にとってどこがすばらしかったか、と言えば、とても大学生とは
思えない役者たちの演技力、そして、まったくハッピィエンドではない、
やりきれないくらいブッチギレのラスト。
けっきょく街の若者は去ってゆき、恋は実らない。これ自体は、よくあるひと夏の
思ひ出、やっぱ、結ばれないのね、という話なのだが、男女ふたりの体当たりの
演技がすごくて、えぇ、ホントにだめなのぉ、別離れるのぉ!?と泣きそうになった。
そして、一方で、彼女にずっと思いを寄せていた村の男は、狂って殺人を犯してしまう。
ある者は消え、ある者は残る。「村」という共同体が、あたたかく人々を包み込む、
などという幻想をきっぱりと拒絶して、終盤、ふたたび幻の衛兵たちに取り囲まれた
娘は、居酒屋のキッチンにある布きんを、力いっぱい流しに叩きつけて、厨房に去る。
これがラストシーンだ。

何がこんなに自分の胸を打つのか。
それは、たぶん、そこに現実があるから。
世の中に溢れている、安易で、お決まりの「希望に満ちた」エンディングが、
嘘くさくて、もうウンザリしているから。めぐまれない主人公が、挫折を乗りこえ、
恋人か友人に支えられながら、時間一杯のラストで拍手喝采を浴びる、
というワンパターンが、自分の実人生とあまりにもちがうことに、
とっくに気づいているから。
「芝居の中でぐらい、暖かくて、希望に満ちた世界を体験したい」なんて、
ほんとうは誰も思っていないから。
「希望」があるとしたら、布きんを、力いっぱい流しに叩きつけて、嗚咽しながら、
でも、未来を祈る、明日の献立を考える、そこからしか始まらない。

甘くて暖かい芝居や映画も良い。年に数本なら最高だ。
しかし、そのコピーが、しかもまがい物のコピーがこう多くては、食傷する。

生きていて、働いていて、自分がこんなにもツライのは、きっとあいつが悪い、
まわりが悪い、社会が悪い、運が悪い。
いや、本当は自分が悪い、自分の弱さが悪い、ということぐらいは、
誰でもとっくに知っている。
しかし、自分の「生」を投げ捨てて、死を選ぶ、などということもできない。
とすれば、小さな、情けないくらい小さな工夫を、毎日重ねて、生きてゆくしか
ないではないか。そこには拍手喝采などない。親身になってくれる友人だって、
いつもいるわけではない。映画のエピローグのように、翌日から急に仕事が
うまく回り出す、なんてバカな展開もあるわけない。それが現実、その「鏡」を
見据えることが、今、芝居に求められているリアリティではないだろうか。

ポルチュガーリエは希望を描かない芝居だった。
おそらく、創り手が、安易な希望は観客を失望させるだけだと、わかっているから。
でも、強い祈りがあった。明日から、なんとか、より良く生きたい、という強い願いが。
その先にきっと希望がある。

さわ

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